Back2006.10.28up)


梁田蛻巌
(やなだ ぜいがん)

(1672 寛文12年 〜 1757 宝暦7年)

名は邦彦、のち邦美、字は景鸞。江戸生まれ。若い日を加納藩の藩儒として岐阜にあったが、「覇儒」と称されるごとく磊落奔放な性格のため仕官に向か ず、致仕して江戸に不遇を喞った。のち48歳にして再び明石藩に召され、自ら人格を陶冶し年とともに明石の人々に仰がれるやうになる。その地に86歳の天 寿を全うした。





『蛻巌集』
(ぜいがんしゅう)
(管理人蔵)

寛保2年(1742年)6月  上梓
  有馬屋庄橘蔵版

正編上下 後編上(詩集の部)
3冊 丁; ×cm






戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す

 抜去海棠栽芭蕉 
海棠を抜き去って芭蕉栽す
 不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ
 快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて
 如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む

 蛻翁八十一書

宝暦7年(1757)か。『諧歌集』は滝野瓢水の俳書(寛延元1748刊)。寒秀山人は別号か。



明石市本立寺(日富美町)の塋域
 





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