Back  (2003.11.20 up / 2011.02.12update
村瀬藤城・後藤松陰 選 『清百家絶句』

『清百家絶句』 (しんひゃっかぜっく)

1815 文化12年,村瀬藤城,後藤松陰/共編著
風月庄左衛門版,和綴 22.0×15.0cm 全3冊
【上】序:2丁(頼山陽)/ 例:2丁 / 上:32丁     【中】中:22丁   【下】下:23丁

村瀬藤城25才、後藤松陰19才時の処女出版、 聖霊派の範となった同時代の清の詩篇を撰したもの。
序文の山陽が既にその境を卒業し、後進に不満の意を述べてゐるところがをかしい。

本 文画像 : (早稲田大学古典籍総合データベー スより)




(上)



二三従遊、輯清人絶句
相示。余擲其巻。戯曰、咄、辮
髪虜所為。安足取哉。子等
枉費精力耳。既而自咲曰、
我輩開口、輒曰、唐曰宋其

所自撰曾不能髣髴西土
黄口小児。猶夫日臨摸蘭亭。而
不及蘇杭舶商俗書。故凡藝
事皆欲自高処着眼。自低処
下手。蓋低則易攀耳。則辮
髪之詩、亦学唐宋搢紳之

階也。遂取而一閲、略刪其
繁蕪以与之。

 文化乙亥孟冬山陽外史 頼襄 題


二三の従遊(子)、清人の絶句を輯めて相示せり。余、其の巻を擲ちて、戯れに曰く、
「咄(チェッ)、辮髪の虜の為す所。安んぞ取るに足らんや。子等、精力を枉費するのみ」と。既にして自ら咲(わら)ひて曰く、
「我輩、口を開けば輒ち唐と曰ひ宋と曰ひ其の自ら撰ぶ所、曽(かつ)て西土黄口小児を髣髴する能はず。
 猶ほ夫れ日(日々に)「蘭亭(序)」を臨摸するがごとし。而して蘇・杭の舶商俗書に及ばざりき」と。
故に凡そ芸事は皆な高処より着眼し低処より手を下さんと欲す。蓋し低ければ則ち攀じるに易からんのみ。
則ち辮髪の詩も、また唐宋搢紳を学ぶの階ならん。遂に取りて一閲、略ぼ其の繁蕪を刪りて以て之に与ふ。

 文化乙亥孟冬山陽外史 頼襄 題


(本文)




(中)



(下)


(奥付)



Back

Top