山田鼎石 やまだ ていせき(1720 享保5年5月19日 〜 1800 寛政12年1月12日)
名は瑛、字は子成、通称は大蔵、鼎石(別に貞石)と号した。鼎石街(釜石町:現在の本町)の素封家山田常省の三男として享保5年5月19日生まれ
る。上京して江村北海を師とし、岐阜に帰郷してからは、壮年期に一旦家業に専心するため詩筆を十五年間廃したものの復帰。以後、金龍道人、宮田嘯台、森球
玉、左合龍山らと「鳳鳴詩社」を結んで盟主として仰がれた。けだし岐阜詩壇の嚆矢と呼ぶべく、安永八年に刊行された詩集は、岐阜の人として最初期のものに
属する。
享保5年5月19日没、岐阜市中大桑町の浄安寺に葬られる。明治初年の長良川堤防改築に際して塋域が移動し、埋骨の地は所在を失ふとともに、墓石も今は
無縁仏の扱ひとなってゐる ※下段参照。
1779年(安永8年)11月 菊花堂 上梓
京:菊屋七郎兵衛(菊花堂) / 岐阜:藤屋喜平次
【第一冊】4,3,4,1,4(巻一),10(巻二)丁 / 【第二冊】25(巻三)丁 /
【第三冊】4(巻四),20(巻五),1,1,1丁 size 26.1×17.7cm
すべきに堪へたり。故に字地に「清水」と曰ふ、宜(うべ)なるかな。

