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2008.05.15up / 2010.07.09update
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梁川星巌
(1789 寛政元年 〜 1858 安政5年)
本名稲津長澄、幼名善之丞。家督を弟に譲り名を卯
、字を伯兎と改め、のち更に名を孟緯、字を公図と改めた。若き日の通称は新十郎、はじ め詩禅と号し、のち星巌と改める。
梁川星巌記念館
(
大垣市曽根町1-772
)
伊藤 信著『梁川星巌翁 : 附紅蘭女史』読書ノート
初期の編著書
(柴 山老山との共編)
処女刊行詩集
『西征詩 星巌乙集』
文政12年刊
第二刊行詩集
『星巌絶句刪 星巌丙集・丁集』
天保6年刊
第三刊行詩集
『星巌集』
初版(未確認) [丙集・丁集(改訂版) 天保11年刊] [甲集・乙集(改訂版) 天保12年刊]
[甲集・乙集・丙集・丁集・閏集・
『紅 蘭小集』
天保12年]
通行版 甲集・乙集・丙集・丁集・閏集・
『紅 蘭小集』
・ 戊集・『玉池吟社詩』 安政3年 12冊
生前に企図された最後の詞華集
『近世名家詩鈔』
安政5年初版 / 万延2 年後版
第四刊行詩集
『星巌先生遺稿』
文久3年
第五刊行詩集
『籲天集』
明治元年刊
管理人所蔵軸
そ の1
(雪梅 紅蘭合作)
そ の2
(夜桜)
そ の3
(方竹杖を得る)
そ の4
(月色虫声)
そ の5
(舟中紀事 写し)
そ の6
(秋夕琴を聴く)
そ の7
(養老瀑布)
そ の8
(遠州路上)
そ の9
(不驚寵辱與栄枯)
書翰
色 紙
徳 富蘇峰『
梁 川星巌全集
』序文
紅 蘭軸
張紅蘭女史 :
梁川星巌翁
詩に一徹、他に何の著書も遺さなかった星巌の詩集は、計画段階に於いてすでに甲・乙・丙…の順序 が構想されてゐたものと見え、詩壇を意識した戦略的配慮といふべきか、最初に刊行されたのは『甲集』ではなく、『乙集 西征集』、そして『丙集 星巌絶句 刪』でありました。これらが先ず出て、詩人の真価を世に問うたのであります。
巷間よく見かけるの梁川星巌の詩集は、『星巌集』と称する、『甲集』から『戊集』までが9冊に集成され、加ふるに門人アンソロジー『玉池吟社詩』2冊と 妻紅蘭の『紅蘭小集』1冊を以てした全12冊のセット本でせう。別集としては『黄葉夕陽村舎詩』『山陽詩鈔』とともに、当時最も知られたベストセラー詩集 となりましたが、大部であるにも拘らず数種の後刷りの存在が確認されてをり、異同が夥しいのです。実のところ伊藤氏も詩集の書誌については持て余してゐた らしく、この『梁川星巖翁 附紅蘭女史』に収められた年譜には、なんと『西征集』『星巌絶句刪』の刊行年さへ記されてゐません。残念なことにこの年譜が伊 藤氏没後に出た星巌全集第5巻所載の年譜にそのまま引き写されてしまひ、伊藤氏がその後知り得たに違ひない事実を、全集の年譜に書き加へることなく仆れた 無念を、思はないではゐられません。著名の先生方による解説が、皆これを元としてゐますから、私もここで梁川星巌の処女詩集、第二詩集の刊行が、文政12 年5月、天保6年2月であることをあらためて記しておきたいと思ひます。
さてそれなら『星巌集』はどうなのかといふことですが(口ごもる 笑)、元来初版の『星巌集 ○集』といふのは、先ず、天保戊戌季夏[9年6月]に、 『丙集』の増補改訂版を3冊ものとして新鐫刊行し、次に、天保辛丑仲春[12年2月]に、長らく封印してきた最初期の『甲集』1冊を、『乙集』の改訂版2 冊と一緒に出し、続く季春[3月]には、『丁集』と、現況の最新状況を集めた補遺と云ふべき『閏集』を合せて2冊とし、さらに『閏集』付録と銘打った『紅 蘭小集』を別冊にして刊行されたもののやうであります。(但し『乙集』奥付刊記は天保10年だし、『紅蘭小集』奥付刊記は天保12年1月較刊とあり、謎で す。付録扱ひだった『紅蘭小集』は先に全ての工程を終へてスタンバイしてゐたのでせうか。)
要するにこの時点では『星巌集』は全9冊だったのであり、その後の『戊集』1冊と玉池吟社詩人たちのアンソロジー2冊を併せて『玉池吟社詩』の名で刊行 されたのは、安政3年正月のことであるらしい。つまり現在世に出回ってゐる12冊セットといふのは、総てそれ以降の一括印刷に係る後刷り「星巌集決定版」 であるといふ訳であります。
『星巌集』は、ですから一見端本とも思はれる9冊揃ひの方が古いといふことになります。もっと云へば、見返しと奥付があって刷り状態の良い『丙集』、 『甲集+乙集』、『丁・閏集+紅蘭小集』があれば、それぞれ一番古い可能性があるのです。版元の異同が夥しいのは、板木の権利が売買されたからですが、安 政6年に起きた大獄に際して、詩人の評価が一時的に封印されたことも関係してゐるのかもしれません。とまれ、初刷りであるなしに拘らず、各集の見返しには 同じ干支が刷り込まれてゐるので、これが奥付の印刷年不記と相俟って書誌舛錯の原因となってゐる訳です。判断できる限りの情報をあつめ、考証したら面白い と思ひます。
見返しに記名された代表版元として、江戸千鐘房(須原屋茂兵衛)版のほか、京都竹苞書楼版、東京青木嵩山堂版(明治刷)が存在するやうです。管理人の所 蔵本は、見返しを甲集のみに留め、各集の扉紙も省かれた千鐘房13冊セットの後刷りですが、奥付版元に江戸とあるので明治刷りではないやうです。
また『戊集』に続く、江戸玉池吟社を閉じて京都に活動拠点を移した後の作品については、『星巌先生遺稿』(文久3年 老龍庵蔵板)8冊の方に集成されま したが、これまた元治元年版といふものがあり、明治になっても増刷が続けられました。管理人の所蔵本は文久版明治刷りの一組。魁星印のある袋が付いてなか なか綺麗です。
今後、岐阜県図書館の蔵書と合せ、書影や目次を順次公開してゆければと思ひます。
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