Back (2008.06.23up / 2011.08.19update)

梁川星巌 西征詩 星巌乙集』

(せいせいし せいがんおつしゅう)

1829 文政12年刊行 全2冊

【上】



表紙 

テキスト1
テキスト2
テキスト3
テキスト4
テキスト5
テキスト6
テキスト7
テキスト8

鎮西の山、遠く して之を望めば数点、天外に在るが如し。而るに往きて就けば則ち隔絶の者馬関(下関)の一衣帯水のみ。鳴呼、是れ即ち以て公図の詩に喩ふべし。公図の詩、神 遠く韻高く、迥(はるか)に凡境と別つ。而して人々の意ふ所を謂って、必ずしも人と遠きには非 ず。争ふ所は尺寸の間に在り、人自ら学ぶ能はざる耳。然れども功を用ふること専らに、力を得ること深きに非ざれば、焉(ここ)に造り(いたり)て之を久しう する能はざる耳。吾、海内に「詩」を以て家に名づくる者を観ること多し矣。或は儇佻(けんちょう:すばやい)自ら喜んで面 目鄙近、(それを)否とするならば則ち粗険にして硬率、人の心脾に入るに足らず。能く此の 二病を除く者、独り公図のみ。公図は清羸、詩を嗜むこと命の如し。其の婦も亦、吟を解し、夫妻相携へて書を嚢(ふくろ)にし、筆を橐(ふくろ)にし、偏ねく 西南の山水に遊ぶ。意に適すれば輙ち留滞し、古人の一集、意に可在る者を獲れば枕籍して之を読む。婦の餐を報じ衣を添ふるも顧みず。其の自ら為(つく)るに及べば、 則ち古の歩趨を諳んじ、而して会するに己の神理を以てし、吚[口憂](いゆう:苦吟して)終夕、輙く(たやすく)筆を下さず。険題難題と雖も、出すに平穏を以てし、愈々錬って愈々平、 雋永(せんえい:滋味)を期す。淺噪、名を噉ふ(くらふ)者の能く弁ず る所に非ず。能く時調に異なる所以なり。公図少く(わかく)して関左(江戸)の名彦と周旋し、又、西州の諸耆宿に歴抵し、終に清客と相唱和するに至 る。其の心、試に服閲する者幾人ぞや。顧るに余を以て相ひ質証すべき者と為す也。近ごろ西遊作る所を収拾し、評して之に序せんことを請ふ。余、篝燈夜読、 会心に逢ふ毎に、筆を戛して(たたいて)「妙」と称す。妻児、睡る者皆起く、葢し余の言はんと欲する所にして未 だ言はざりし者、公図之を尽くせり。余、亦曽て西筑豊に遊び、二肥薩隅を渉り、諸を(これを)奇秀の境に観る。公図に比すれば較(やや)闊くして且多 し。然れども親を念ひ家を思ひ、牽掣せらる所多く、悉くは其の勝を領する能はず。之を公図の家を挈げて(ひっさげて)行き、徜徉(しょうよう: さまよふ)留止する者に視れば、間有り矣。猶ほ余の詩を攻むる、公図の専らにして 且つ深く久しきには如かざる也。特に夫()の足、未だ赤馬を踰えざる者には愈(まさ)れる耳。公図 請ひて余も拒まざる所以なり。(原漢文)

山陽外史頼襄撰


テキスト9
テキスト10
テキスト11
テキスト12
テキスト13
テキスト14
テキスト15
テキスト16
テキスト17
テキスト18
テキスト19
テキスト20
テキスト21
テキスト22
テキスト23
テキスト24
テキスト25
テキスト26
テキスト27
テキスト28
テキスト29
テキスト30
テキスト31
テキスト32
テキスト33
テキスト34
テキスト35
テキスト36
テキスト37
テキスト38
テキスト39
テキスト40
テキスト41

跋 朱翊平(朱柳橋 序 浙江當湖の人) 

 古今来、詩を以て自ら其の家に名づける者衆(おほ)し。而して究(つひ)に李[白]杜[甫]二公を以て之が首称[一番]と為す。けだし青蓮[李白]は天 才超特、少陵[杜甫]は宏通淹貫、しかのみならず跋渉千里、並びに江山の助けを得る者多し。故に篇什よく古今に冠絶するなり。
 茲に梁君公図、日の出る処に生まれ天資霊敏またよく被襆[服を包み]遠遊、風に航し雲に梯す。むべなりその吐属[措辞]清雋[俊]にして調べの古人に近 きや、西征詩冊を以て余に示す。余、久しく筆硯を抛り何ぞよく高深を窺見せん。第(た)だ葑菲の棄てられざること[※]を承(たす)けて、ここに客邸にお いて展き誦してしばしば過ごす。遂に俚諺[拙言]を[巻]尾に綴らんか。
 梁君、才高く学深し、況や春秋富む。即ち必ず詩境、年と倶に進み得る所あに是に止まらんや。
 道光四年[文政7年1824]秋八月 浙江 朱翊平 君氏に属(しょく:付)して謹みて跋す。

 ※ 「葑菲」は、詩経國風に「葑を采り菲を采る。下體を以てすること無かれ」とあり、かぶらの味が時期により不味いからといって、付いてゐる菜葉まで棄てる な。自分の不才ゆゑに星巌の詩まで疑ってくれるな。
の謂。


白紙

裏表紙



【下】

表紙 

テキスト1
テキスト2
テキスト3
テキスト4
テキスト5
テキスト6
テキスト7
テキスト8
テキスト9
テキスト10
テキスト11
テキスト12
テキスト13
テキスト14
テキスト15
テキスト16
テキスト17
テキスト18
テキスト19
テキスト20
テキスト21
テキスト22
テキスト23
テキスト24
テキスト25
テキスト26
テキスト27
テキスト28
テキスト29
テキスト30
テキスト31
テキスト32
テキスト33
テキスト34
テキスト35
テキスト36

跋 吉村秋陽(1797〜1866)[初版乙集(文政12年)の序] 三原藩儒  

 裏表紙



(写真は福岡図書館江 戸明 治漢詩文コレクションデータベース公開中の書影を御覧頂いてをります。)

 詩に一徹、他に何の著書も遺さなかった星巌は、計画段階に於いてすでに甲・乙・丙…の 順序が構想されてゐたものと見え、詩壇を意識した戦略的配慮といふべきか、本 文註記 に安芸藤淵 (加藤香園:広島の書賈)も記してゐるやうに、星巌の詩集で最初に印刷に付されたのは『甲集』ではなく、この『乙集 西征集』であり、事実上の処女詩集と なった。本書が先ず出て、紅蘭を伴った4年近い西国慢游の様子が明らかとなったのであり、全国の詩人たちの目に触れることで、官に仕へぬ自由詩人の印象は 決定付けられた。後年集成された『星巌集』の乙集改訂版とは、大幅な異同が認められる。

【資料】 処女詩集刊行をめぐって

 

 【頼山陽書翰】(梁川星巌宛  文政10年閏624)

西征詩序、太(はなはだ)逼迫せられ候 へども、発靱期迫り、早く埒明き候て、上申す可くと、今朝以来、閣百事を束ね書き畢り候。文は「只君与吾」と云ふ様な処を、少し泛然とする様に(ぼやかす様に)致し候。其外 は、カクヨリ(斯くより)外致し方無き候。必竟(畢竟)田錦城(太田錦城)が序、アマリ 筋骨を暴き候て、人の怒を招き入れ候より、ビク付出し候事也。錦序ナカリセバ、拙序は、何も耳ざわりはなき也。よし、耳にさわり候ても、よき事也。八方の 機嫌を取り候て、何処に名を成し身を樹てん乎。たとへどの様に機嫌取り候ても、兄と名を争ふ者は、集のうれるはいやに存ず可きに候。八面に敵を受け候様に 相成り候ても、拙は御身方に相成可く候。ほめ過にあらず、公論・定論、を以て申し候也。浩然、御出し成さる可く候。今日雨晴れ候て、月峰へ参る可く、明日 発靱とても、今日は閑暇なるべし。余は其の節に期す。草々

古詩は、只今拝見仕居候。明朝迄には、看畢り候也。(候文書き下し)

(文政十年)閏六()廿四日

星嵒様

 

 【頼山陽書翰】(梁川星巌宛 文政10年閏8)

未だ晴朗なら ず、遊山之挙決し難き候。

私、詩之序、梓 出来候ハバ、一閲仕り度く候。ウメ木(埋め木したい)の処もあり。今夕酔ザマシに参る可くとも存じ候。瓢明き(ひさご空き)候ハバ、此者 に御附け下さる可く候。いつかの杖頭(酒代)百銭も、ヨク覚テヲル奴、其儘に御返しなし。十五夕は必ず待ち奉り候。 今夕も無月と相見へ候。(候文書き下し)

十三夕        山陽

星嵒様



 【村瀬藤城書翰】(梁川星巌宛 文政12年閏613)

尊翰捧読、起居御勝常奉賀侯。小生無事ニ而、四月上旬に帰郷、早速に趨謁仕り、萬緒可申上存侯処、柳兄(神田柳渓)申候は、其にては却テ悪敷、先ツ我方より 委曲を伝へ可申侯間、上有知行は、延引可然トノ事に付、手帖も呈上不仕、今日に至り申侯也。如尊命萬事柳兄に預け可申侯間、左右に御承知可被下侯。小生は 固より、不願寒盟候得共、先頃貴翰見読ニ付、無拠疎遠に及申侯也。老兄に隔意無之儀ニ候は、小生は勿論に御座侯。依旧友誼は如龍如雲奉希侯。尊大人久病、 定テ薬餌坐臥萬般老兄之一身ニ蒙り可申、御労心奉推察候。其労心ニ付、老兄之病ヲ引出サヌ様ニ、御用心専一ニ奉祈侯。

(石原)東 隄より之刻詩料弐円金慥ニ落手仕侯、東隄之主意も、委細承知仕侯。
○林良画一巻、石摺数張、明詩抄本一冊、三品共ニ、慥ニ落手仕り侯。
○西征詩ハ、当正月ニ彫刻落成仕候得共、日野(資愛)公 序文ヲ賜リ候ニ付、彼是延引ニ及申侯。製本近々ニ出来、鴎社諸兄弟へ分配可仕侯。右出来次第ニ、小生直ニ老兄方へ拝趨、其節先達テノ書画幅及諸算清還可仕 侯。小生此度ノ帰郷ハ、逗留僅ニ五七日之積リニ御座侯処、本家身上向之事ニ付、相談ニ加ハリ、発程大ニ延引仕侯。小生も頼翁及諸子之勧により、聖護院之地 面ニ一廛ヲ構へ可申ト、追々工夫を着け、当二月既ニ一決仕リ、幸ニ古家有之侯ニ付、地面共ニ買取可申様、引合相済申侯。此事老兄ニも相談可仕存侯得共、当 春之御手帖に付、見合申居候。此度ノ遊歴も、右之卜居一件ニ付、発程仕り侯。小生事東西走波已ニ年四十ニ余リ、昔之詩禅ニは無之、唯事業ニ耳心情ヲ寄セ申 侯。上京以来詩数百五六十首も可有之、近々抄写入電矚可申侯。書余は、帰一子ニ御聞可被下侯。草々頓首。                             

(文政十二年)六月十三日

卯改名 緯  拝上

藤城吟兄盟 台下


 
御家内様方へよろしく、拙荊無事、是又宜敷申上候。

一 柳兄より承り申侯。元遺山集謄写出来、校合も相済み申侯之由、何卒拝借仕度奉希上侯。
一 丈太郎(長慶)義、江戸表朝川善庵江入 塾仕り侯之由、此節申参り侯。当春以来、弘斎(菱湖)宅 ニ逗留、今度ノ出火ニ類焼、丈太郎衣服等も、過半焼キ申侯トノ事ニ御座侯。
一 頼(山陽)翁も、当春奉北堂伊勢参宮ニ 御座侯。兎角門人中之受あしく、困入申侯。
一 貫名(海屋)も東行、九月ハ帰京トノ 事。○善助も依然トシテ、鼓琵琶居申候、詩文ハ大分上り申侯。
一 中島(棕陰)客冬大垣加納遊歴、大分評 判御座侯。

Back
Top