Back2005.12.02up/2006.6.15update)
【江戸後期詩人たちの周辺】 北條霞亭

 旧林崎文庫









 当文庫は外宮の豊宮崎文庫と共 にわが国調査研究図書館の先駆をなすものであり、貞享3(1686)宇治会合所の大年寄等が山田奉行岡部勝重(駿河守)に請ひ、幕府の下賜金150両を得て翌年丸山に内宮文 庫を建設したのに創まる。
 然るにこの地湿潤の故に元禄
3(1690)北隣の林崎に移し林崎文庫と改称する。
 天明
2(1782)荒木田尚賢等同志が書庫・講堂・塾舎を改修・増築する。この際、柴野栗山より「林崎文庫記」が 、本居宣長より「林崎ふみくらの詞」が寄せられ、碑文となって文庫の庭に今も残されてゐる。講堂裏には沢田東江書の孝教の碑も立った。
 文政4年(1821)後方の高地に再建して石階を築き同6(1823)茲に移転し今日に至る。
 講堂で書を講じた
大学頭林信篤(講堂の額を書す)、伊藤東涯・竹内式部・大塩平八郎をはじめ、或ひは水戸光圀・村井敬義等の諸侯・学者は著述や蔵書をを寄進し、その蔵書は11,978冊に及んだ。北 條霞亭が「林崎書院長」を勤めたのは、文化6年(1809)から3年間の間当文庫に身を寄せていた時代のことである。
 明治
6(1873)土地・建物・図書一 切を神宮に納める。同39(1906)神宮文庫の開設により全蔵書を同文庫に移管する。
 昭和
29(1954)国史跡に指定される。
 見学については、春
4/24-4/30 9/18-9/24 のそれぞれ10:00-15:00に開放されてゐる由。

 以上、立て看板ほかより中嶋が 編輯した。


志摩的矢 北條霞亭墓


集落の背後、小高い丘の上のすこし分り辛いところにあります。


隣は父道有(適斎先生 延享四年〜文政七年)、その隣は母堂の墓。



Back

Top