飛騨上世猶子雲所穪蠶叢漁鳬蒲澤之郷。阻深闇
[日勿]上國聲教。莫有文字業。至姉小路氏
乃始有一二聞於時者。然亦唯短歌微吟不能長。况漢籍大篇乎。三十年前。有
滄洲津野翁焉。高
山人也。好學。廣於交道。將江戸帰。有所屬於畫士寒葉齋。畫士諾。及帰日。
翁旅装過之。畫士不在。悵然出門。如有
所失。薄暮抵鴻巣驛宿。去江戸百二三十
里。對食歎息。倚楹沈吟。逆旅主人以郵筒進。曰驛豎午餉。於田間拾之。上題貴客名。故進。翁[目矞ケツ]然顧之。乃畫
士所贈也而中有
畫幅。驚曰。何従致之。一行之人。左思右想。無知其故。翁奮起曰。不如復還江戸問之之爲解也。畫士亦驚歎曰。奇矣奇矣。
蓋翁出自前。畫士帰自後。聞翁去未遠。使小僮負畫幅追之。未数十歩。飛鳶攫去。小僮泣帰云。夫高鳥回翔天際。一東一西。一南一北。翻然乗雲。冷然御
雲。是其所常無窮。而東西不可期。而今翻然正墜翁前。是何祥歟。翁子子容。嘗問之余。余亦左思右想。至今[格]之。昨日
高山赤田永和。謀梓其先考臥牛先生遺稿
於余。曰窮山幽谷
之人。詩文上梓。此集爲始。事之善否。唯君教之。蓋子容謀之也。余受而誦之。美哉。噦々然鸞鳳之音也。夫飛弾興上國鬱遏凡幾業。但其山多
産良村。人唯治木径。免調庸。點返丁。負斧斤役於京師。歳若干人。士又宜蝅桑鋤蛻゚被諸方。機
杼所和。釽規所兼呈。猶太沖之所穪賛云尓。是固已孕匠心於此。則又安無錦心之人生其間哉。於是有
臥牛先
生出焉。翁珍重先生篤於文學。謂此當興上國
騒壇竝立。翁務外交。先生守玄亭。修文其中。未幾年。果如翁所策矣。嗚呼。二君子之相親
也。親則久。久則賢
人之業。二
君子之子。亦能奉其遺命。謀不朽此集。不亦善乎。夫飛鳶陋鳥也。羽毛無五采之美。鳴聲
無噦
然之和。然聖人引以喩之至道。
則前日
爲翁使者。則足以爲文學飛聲之祥乎。
文政十歳丁亥冬日
尾張秦滄浪撰 東巒紫春書
飛騨の上世、なほ子雲の称するところ
蚕叢魚鳧
※1の蒲沢の
郷のごとし。深き闇[日勿]上國の声教を阻む。文字の業の有るなし。姉小路氏に至りて
乃ち始めて一、二の時に聞ゆる者有り。然るにまた唯だ短歌微吟にして長くは能はず。况んや漢籍の大篇をや。三十年前、
滄洲津野翁有り
。高
山の人なり。学を好み、交道を広くす。まさに江戸に帰らんとするに、画士寒葉齋※2に属する(依頼する)ところあり。画士諾(うべな)ふ。帰日に及び、翁旅装してこれを過(よぎ)る。画士不在なれば、悵然として門を出
づ。失ふ所あるがごとし。薄暮、鴻巣駅の宿に抵(いた)る。江戸を去ること百二三十里。食に対ひては歎息し、楹(はしご)に倚りては沈吟す。逆旅※3の主人、郵筒をもって進む。曰く、駅豎※5午餉(ひるげ)に田間に之を拾ふと。上に貴客の名を題すれば、故に進ず。翁、[目矞ケツ]然※4として之を顧る。乃ち画士贈る所なりて中に画幅あり。驚きて曰く、何に従りてか之を致すと。一行の人、左思右想すれども、其の故を知るなし。翁、奮起して曰
く。復た江戸に還り之を問ひ、之を解くこと為すにしかざる也。画士また驚歎して曰く。奇
なるかな奇なるかな。
蓋し翁は前より出でて、画士は後ろより帰れり。翁の去ること未だ遠からざるを聞き、小僮をして画幅を負ひてこれを追はしむると。未だ数十歩ならずして。飛鳶、攫(かす)め去る。小僮泣き帰りて云ふ。夫れ高鳥の
天際を回翔するや、一東一西、一南一北。翻然として雲に乗り、冷然として
を雲を御す。是れ其の常の所窮まりなく、而して東西
期すべからず。而るに今、翻然として正に翁の前に墜つ。是れ何の祥かな。翁の子、子容。嘗て之を余に問ふ。余また左思右想、今に至るに之に格(いた)る。昨日、
高山の赤田永和、其の先考※6臥
牛先生遺稿の梓※7を余に謀る。曰く、窮山幽谷の人。詩文の上梓。此集を始めと
なす。事の善否、唯だ君が之を教へ、蓋
し子容これを謀るな
りと。余、受けて之を誦す。
美きかな。噦々然として鸞鳳の音なり。夫れ飛弾の興上國鬱遏凡幾業。但だ其れ山多
くして良村産む。
人唯だ木径を治め。
調庸を免ぜらる。
點返丁。斧斤の役を京師に負ひて。
歳は若干の人。士又は宜しく蚕桑鋤蛻゚被諸方。機
杼の和する所。釽規の兼ね呈する所。なほ太沖の称賛して云ふ所のごとし。是れ固よりすでに匠心を此に孕むと。則ち又いずくんぞ錦心の人生其の間になからん
や。是において
臥牛先
生の出づる有り
。翁、先
生の文学に篤きを珍
重す。謂ふ、此れまさに上國の
騒壇の並立興るべし。
翁、外交に務む。
先生守玄亭。修文其中。未だ幾年ならず。果して翁の策(もと)むる所
のごとしや。嗚呼、二君子これ相ひ親しむ
や、親しむこと則ち久し。久ければ則ち賢
人の業。二
君子の子、亦た能く其の遺命を奉じ、此
集の不朽を謀
る。亦た善からずや。夫れ飛鳶陋鳥なり。羽
毛に五采之美なし。鳴聲には
噦
然の和なし。然れども聖人喩へを以って引
くに之を至道とす。
則ち前日翁の使者と為りしは、則ち以て文学飛声の祥と為すに足
れり。
【解読中】
文政十歳丁亥冬日
※1蚕叢・漁鳬:古代蜀の王
※2寒葉齋:建部綾足 享保4年(1719年) -
安永3年3月18日(1774年4月28日)
※3逆旅:宿
※4[目矞ケツ]然:おどろき見るさま
※5駅豎:駅で下役する子
※6先考:亡き父
※7梓:出版
孝伝湖水池(孝池水、孝子ケ池)の頌詩【解読中】
君不聞 君、聞かずや
昔日飛騨深山裡 昔日、飛騨深山の裡
門原之村有孝子 門原の村に孝子あるを
其名田作善事親 その名、田
※となし、親によく事(つ
か)ふる
※門原に「田口左近光員」な
る人物を先祖とする家あり、この一統か。
親病嘗欲琶湖水 親病みてかつて(琵)琶湖の水を欲するに
孝子走從其所求 孝子その求むるところに従って走る
自飛至江三百里 飛(州)より江(州)へ至る五百里
汲水帰至瀬戸山 水を汲み瀬戸山に至り帰れば
聞父己終悲欲死 父
※のすでに終るを聞き、悲しみ死せ
んと欲す
※伝承では母。
覆其水處忽成渕 その水を覆す処、たちまち渕となり
千歳湛々湧無己 千歳、湛々と湧きてやまず
湧而不己深百尋 湧きてやまざる、深きこと百尋
水色與他諸渓異 水色は他の諸渓と異る
此人為上天所存 此の人、上天の存(と
※)ふところと
なり
※とふ:訪。
見舞ふ。
遂昇仙階去門原 遂に仙階を昇り門原を去る
乃謝村人吾雖去 すなはち村人に謝す、吾れ去るといへども
時遊山頭顧此村 時に山頭に遊びて此の村を顧る
遊時必有大石隕 遊ぶ時は必ず大石のおちるあり
以此為信莫相諼 此をもって信となし、あい諼(わす
※)
ることなかれ
※わする:忘。
大石雖隕不傷物 大石のおちるといえども物は傷つけず
至今毎年如其言 今に至るも毎年その言のごとし
孝池水兮孝池水 孝池水、孝池水
玉醴金漿何足論 玉醴、金漿
※、何ぞ論ずるに足りん
※不老長寿の仙薬。
今人如欲寿千年 今人もし寿を千年欲するならば
先當至性感上天 まずまさに至性
※を上天に感ぜしむべ
し
※非常に善良な生れつき。
如何不孝求延寿 如何でか不孝にして延寿を求めん
故無一人能得仙 もとより一人としてよく仙を得るは無し
又一首 また一首
孝仙
[喬]跡碧潭深 孝仙
[橋]の跡 碧潭深し
潭底之深孝子心 潭底の深きは孝子の心
天下誰家無父母 天下、誰が家か父母なからん
山中此處有霊潯 山中、此の処、霊潯
※あり
※潯:
ふち。
[阜郷片
舃]徒衛古
阜郷、片
潟、徒(いたづ)らに古へを衛る
石室瑤函不在今 石室の瑤函
※、今在らず
※ひとからの手紙。
長使行人有感泣
長(とこし)へに行人をして感泣あらしむ
更添其涙水千尋 更にそれ涙水千尋を添へん
孝伝湖水池 丙子仲冬望 文化十三年十一月十五日 尾張 泰鼎
孝池水 (所在 :下呂市下呂市瀬戸1-2 JR高山線焼石駅)
画像提供 :o.kumazaki
氏
参考文献 :国会図書館デジタルライブラリー
『眞
木佐久斐太乃山踏』 8/57,9/57 富田豊彦編,田島壮二郎校 (高山町:平瀬邦之助,明33.5 101p;19cm 和装)
『飛
騨山川』 81/294 岡村利平編 (高山町:住伊書店,明44.11 544p;23cm)
参考文献 :
『近世藩校に於ける学統学派の研究 上』笠井助治著 ; 吉川弘文館, 1969.3 655-656p
『東海の先賢群像』岩田隆著 ; 桜楓社, 1986.4 108-109p
『吉川幸次郎全集27』岩田隆著 ; 筑摩書房, 1986.4 「鈴舎私淑言」89-91p
『円陵随筆』
天保12(1841)年、宮田敏(円陵)(1809-1870)著「秦鼎ハ行儀ノ人ニテ尊貴ノ人二対シテ失礼傲慢多カリシ、其ノ実ハ傲慢ヲ以テ諂諛セシ
也・・・ 」