梁川星巌全集刊行の際に、編纂主任伊藤信が序文を仰いだ人物は徳富蘇峰でありました。全集第一巻巻頭に曰く。星巌先生ハ我邦近世ノ一大詩宗也。東西ヲ陶冶シ。古今ヲ折衷シ、獨自ノ詩境 ヲ開拓ス。
丙申は昭和31年(1956)、翁の94歳、易簀の前年に当ります。なかに先生ノ傳記とあるのは、伊藤氏が著した740頁余にわたる畢生の大作『梁川星巖翁 : 附紅蘭女史』(梁川星巌翁遺徳顯彰會, 1925.5)のことであります。嘗てその序文には曰く。維新回天の偉業は、一人一個の力にて、成就す可きものではなかつた。其の 賛翼の志士中には、有名氏もあれば、無名氏もある。然も其の天上の星の如く、海濱の礫の如く、多くの志士中に於て、最も特色ある一人を求めば、梁川星巖翁 の如き、則ち其人と云はねばならぬ。唯一人と云ふのでもなく、第一人と云ふのでもない。然も其の重なる一人に相違ない。
私が梁川星巌全集を手にとって最初に何に感銘を受けたかといへば、五巻に亙る浩瀚な分量であるとともに、実は最終巻のなかに掲げられた人々の写真、とりわけ全巻完結を見ずに道山へ帰せられた蘇峰翁の屈託のない笑顔と、同じく宿痾に倒れた伊藤信先生の謹厳痩躯の姿でありました。後を受けて全集を完結に導いた富永蝶如氏もまことに凛々しい面構へであります。日本人から斯様な顔が喪はれて久しいのは、やはり教養、修養として漢籍の素養が喪はれたからではなかったかと、常々さう思ふのでありますが、蘇峰翁は漢詩人ではありませんし若い日にはキリスト教に帰依した時代もあったひとです。しかし内村鑑三や岡倉天心、南方熊楠や果ては頭山満に至るまで、「明治の精神」が産んだ計測不能な大人物=所謂「豪傑」の、蘇峰翁もまた一人、そして最後の生き残りであったと、この笑顔と墨蹟は物語ってゐるのではないでせうか。
加ふるにこの最晩年の書に引かれてゐる杜甫の詩句「白鴎」とは、私にとって星巌、藤城、細香ら美濃の漢詩人達が一堂に会して鴎盟を訂した「白鴎社」に通ずる謂をもって、また格別の感慨を想起させます。爾が残生の詩魂もあらばまた故郷の漢詩文伝承に就かれるがよしと、御大自らが志を鼓吹して送り出して下さるやうな、気迫のこもった一幅に感じ入るばかりです。



